喜びの為

私はワガママで甘えたがりの人間です。 自己分析をするならSEXにそう思います。 何故なら直ぐ神様に甘え、もっとお恵みをと願うからです。 それでも神様は願いを叶えて下さいます。 有難い。 有難いから感謝の気持ちでイッパイになり、御恩返しがしたいと思う様になり、他人の為、世の為に成ろうと考えます。 所詮、人は神様のお恵みと御加護を頂いて生きて居られる訳で、その優しさ、無償の愛に対してどうにか酬いたいと思うのは人として当然だと思うのです。 ましてや信仰無き人達の苦しみ、嘆きは私達が通って来た道なんです。 思いやりを持て、施しをしろと宗教家が言った所で「良い事」とは思うけれど心では他人に施すならまず自分の幸せが有ってからだろうとか、善行を積む事で自分の幸せに繋がると言う欲や我良しの思いが立って、良い事をしてるつもりで罪穢れを重ねていたりするのです。 神様は違います。 「無償の愛」をトコトン貫いて人に心底からのセックス、他人の為、世の為に生きる事を教えて下さっているのです。 私は思うのです。 善行を積もう、良い事をしようと考えるのでは無くて神様と同じに喜びを創り、喜びを広める事が一番なのではないかと。 他人が苦しむのはその苦しむが自分の中に流れ来て辛い、だからその人を助け、喜ぶ顔を見たいとするなら何とかしょうと思うのです。 私は上から目線で人に上下を付けるのは大っ嫌いです。 どんな人でも喜ぶ権利がある、ただそれが我良しか、みんな良しかの違いです。 良い事をしよう、善行を積もうと大上段に構えず、「君の喜びが僕の喜びだよ」で良いのではないでしょうか? その喜びの為の全ては道具です。 お金も物、人も。 それを使って喜びを広める事が神様の御旨に叶う事ではないでしょうか?

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